とりあえず関空までは1時間だから、あっという間についた。
ここで2時間ほどあるので、コンビニでも探して、安くサンドイッチと水でも…と思ったが、
連れがいると思い通りにならないよ。
680円もするサンドイッチと200円の水を買うことになってしまった。
また、一応、両替もしておいた。
1ユーロ125円だったが、少し歩くと、121.5-6円だったから、ショック!!
(*1)
出入国記録用紙も準備したのに、もう不要になっていたのにもビックリ。
そうこうしているうちに、搭乗案内だ。
これでは、サンドイッチを食わないうちに、機内食、なんてことに
なりかねない。
そこで、一人残って食べていると、浅井君がきた。
同じ飛行機だが、彼は今晩ミラノに泊まるとのこと。
やはり、我々の計画は強行軍だったか。
11:35に出発して、12時半くらいにはもう、機内食が出た。
やはり、ワインを3本も飲んで、すぐ寝た。
6時ごろに急に明かりがついて、おにぎりが出たので、
もう朝(の設定)かと思ったら、また明かりが消えてしまった。
もう眠くないが、することもなく、ぼんやりしていた。
さらに、5時間以上たって、ようやく次の機内食が出たが、
それは、酒の肴みたいなやつで、こんなこと前にも書いてたな。
無事、ミラノマルペンサ空港に着いたのが、現地時間の17:10.
浅井君と一緒に出たが、彼が、夜中、トレントではタクシーが拾えない話をするので、
櫃田先生はミラノに宿をとる気になってしまったようだった。
しかし、ミラノで泊まっても翌朝早くから移動するのもしんどいので、
僕は今日中にレヴィコまで行きたかった。
空港から電車に乗ったが、その終点はミラノ中央駅ではなかった。
(*2)
浅井君もよくわかっていないのだな。
それで、タクシーで移動したりしたので、3時間も待ち合わせがあるはずなのに、
トレント行きの切符を買ったときには、もうギリギリだった。
20時05分発のユーロスターはなかなか快適だったよ。
櫃田先生はミラノに泊まる案が却下されたことが不満のようだったが…。
21:45にベローナで普通電車に乗り換えると、
日本の支線と同じような感じだ。
駅名のアナウンスがないので、ハラハラするが、とにかく、
22:45にトレントに着いた。
ここでタクシーがないと野宿!なんてことになるから、
まずホテルにTELしようとしたが、テレカがないと公衆電話が使えない!
と焦っていると、タクシーが来た。
やった!と思ったら、他の人が乗ってしまった。
駅から出て、たむろしている人たちは、迎えを待っているんじゃなくて、
タクシー待ちで並んでいたのだった。
まぁ、でも、待つ人がいるほど、タクシーが来るということだから、
待っていたら、無事、タクシーが来て、Grand Hotel Bellavistaに着けた。
すでに、23:30だった。
日本時間の6時半!!
スタートから24時間も移動に費やしているよ。
とにかく、ホテルに着いてよかった。
スリッパがなかったり、TVがつかなかったり、いろいろ気になるが、
そのうちなんとかなるだろう。
ここまで書くのに、1時間もかかったので、家にTELしてみた。
W杯で日本が1勝をあげたようだ。
その盛り上がりを全く知ることができないのが残念だ。
とにかく、風呂にも入らずに、今日は寝る。
昼飯時には数学者がたくさん飯を食っていた。
その中に入って食事したが、英語がわからなくて、大変だった。
櫃田先生と2時過ぎに打ち合わせをしようと決めたので、部屋に戻って勉強していたが、
2時を過ぎても連絡がない。
3時になっても4時になっても連絡がない上に、電話しても出ないので、
デジカメを持って散歩に行くことにした。
朝と同じルートを写真を撮りながら歩いた。
2度目だと早く進める気がするし、これだけで戻っては、朝から進歩がないと思ったので、少し違う道に入ってみた。
すると、湖があって、ビキニで泳いでいる娘もいた。
いい目の保養ができたと、帰ってきたのが、5時。
それでも櫃田先生が見つからない。
今度はホテルの裏から出たら、ホテルのプールがあった。
ここは、プールつきの4つ星ホテルだったのだ。
そこから外に出て、湖への近道でも探そうかと思ったら、
昼に隣で飯を食っていた人に会った。
カメラを持って「写真をたくさん撮りたい」と言うので、「近くに湖がある」と言って、
連れて行くことになってしまった。
また同じ道を、今度は自分入りの写真を撮りながら進む。
さすがに7時近くなると、湖で泳ぐ人はいないね。
戻って、7時半になると、夕食の時間なので、櫃田先生にTELすると、やっと捕まった。
ずっと寝ていたんだって。
しかし、ここでTVの点け方を聞いたのは収穫だった。
これで部屋のTVを見られるようになった。
「8時半に食堂で」と約束したが、少し遅れて行ったら、みんなグループで座っていて、
一人で食うことになった。
この方が早く終われると思っていたが、最後のデザートを食べている頃に
遅れてきた人がこの卓について、その後も次々と人が増えていくから、
櫃田先生との約束をかなり遅れて、10時に櫃田先生の部屋へ行ったが、
少し話しただけで、プログラムを確認するために外へ出た。
それによると、僕の発表は6/13の9:40からだった。
まだまだ準備する時間はあるな。
それから櫃田先生は散歩すると言うので、また一緒に3度目の散歩だ。
最初歩いたときは、ジェラートを食いたいがすぐ昼飯だからとこらえたのに、
2度目のときは腹いっぱいで、食べたいとも思わなかった、という話をしてたら、
ぜひ食べようと言うので、まだ腹一杯だったが、ジェラートを食った。
これでも今日は朝を抜いているのだから、この調子で1週間食事するわけにはいかないな。
散歩から帰ってきたら11時半で、これは昨日、ここに着いた時間と同じだから、
部屋に戻って風呂に入って洗濯した。
結局、何度も約束した末にやっと櫃田先生と会ったのに、ロクに話をしてないな。
部屋のTVが見られるようになったので、ずっと見ているが、Hな番組もないし、
W杯の番組はあっても、日本は出てこないしで、無駄に時間を使ってしまう。
夜中に起きたので、TVを見てみたが、前のローマのときとは全然違って、
ノンストップニュースやテレフォンショッピングがやっていて、
Hな放送はないようだ。
午後の部は櫃田先生の講演からだったが、お世辞にも成功とは言い難い。
SiSiさん櫃田先生と撃沈して、明日の俺はどうなることやら。
SiSiさんと、散歩する約束をしたので、
櫃田先生と3人で、こちら側から湖へ行った。
さすがに7時だと誰もいないが、足を止めるでもなく、ぐるりと一周して、
いつもの商店街へ出てくるだけでは、かわり映えしない。
しかし、これ以外に歩くところもない。
戻って夕食を食って部屋へ戻っても、準備を終えているので、さほどすることもないし、
明日の講演に備えて、早めに寝ることにする。
講演は、原稿をなるべく見ずに話そうと心がけたが、すると、ときどき詰まったときに、
どこを見ればいいかわからなくて、結局、ほとんど空でやってしまったようなものだった。
せっかく、iterateから始めたのに、時間がなくて、stationaryとのつなぎを話せなかったので、Accardiには全く新しいことのない話だったろう。
これなら、stationaryの部分から始めて、丁度よかったよ。
でもまぁ、原稿を見ないでも英語が口から出てきたのはよかった。
講演後も、飛田先生に誉めてもらったし、
Volovichにも``very good lecture"と言ってもらえた。
飛田先生はともかく、Volovichは、他のあまりうまくない講演の人にも同じことを言っていたから、お世辞に決まっているが、顔と名前を覚えてもらえればそれでいいや。
講演が終わったら、スーツを着替えようかと思ったら、丁度記念写真を撮るという。
スーツを着ていたのは2時間だけだったが、十分に役目を果たしたといえるだろう。
着替えに戻ったついでに、家にTELした。
講演を終えたし、次のタスクは土産だな。
昼飯を食ってから、散歩に出た。
今日はW杯のイタリアvsメキシコがあるので、放送中のイタリア人の様子を観察するためだ。
元々小さな町だが、確かに人が出ていない。
商店街も軒並み閉まっているが、これは昼休みだから、よくある風景ともいえる。
少し歩くと、人だかりが見えた。
やはり、サッカー観戦だ。
14型くらいの小さなTVなので、とても見にくいが、雰囲気を味わいたかったので、一緒に見ていた。
すると、丁度イタリアが得点して同点になるという絶好の状況だったが、
イタリア人のはしゃぎ方は想像を超えるものではなかった。
というか、日本人と同程度だった。
試合が終わるとみんなさっさと解散してしまう。
後で聞いたら、もうひとつの試合の結果で、すでにイタリアの決勝トーナメント進出が決まっていたそうだが、あっさりしすぎだぞ。
ともかく、人垣もなくなったので、また少し歩いてみた。
すると!大きなディスカウントストアを発見!
なぜかパスタが冷凍ものばかりだが、インスタントパスタや菓子が充実している。
しかも安い!
ワインも手ごろなものがあったが、水を買いたかったので、重くなるから買わなかった。
また出発前に来て買おう。
これで、土産の心配も一気に減っていい気分。
重い買い物袋を提げて、湖のほうへ行くと、今日は暑いので、多くの人が泳いでいた。
ちょっと前のサッカーの試合中にここがどうなっていたかを見たかったな。
ホテルに戻ってきたら、丁度休憩時間が終わったところのようで、いろんな人とすれ違ってしまったので、
一応、出席したが、時間もだいぶ押しているし、眠くなっただけだった。
それでも、夕食の時間まで我慢して、夕食後、部屋へ戻ろうとしたら、
日本人グループがBarで集まっているので、輪に入って話していたら、
Accardiのおごりだと言って、グルッパという酒が出た。
それがきつい酒で、チェイサーもなしでこれを飲むのはツライ。
部屋に戻ってきたら、眠ってしまった。
目が覚めたら3時で、これを書いた。
SiSiさんが近くにスーパーを見つけたと言うので、
買物に行った。
そしたら、あったよ。
こういうのを求めていたんだ。
パスタもいっぱいあって、重くて買えないほどだし、
紅茶もいっぱい買った。
ついでに、子供用の玩具まで買えてしまった。
ワインはたくさんありすぎて選べないので、買わなかった。
丁度ローマでの『ホテル近くのスーパー』という感じだな。
インスタント食品を探すのを忘れたが、
とにかく、40ユーロも買物したので、スーツケースの片側が埋まったよ。
明日ワインを買えば土産完了といえるだろう。
一安心だ。
大きな袋を提げて帰ってきて、残りのセッションにも、一応出席しておく。
夕食後、TVをつけたが、日本戦なんてどこも放送してないよ。
シンポも明日で終わりなので、荷物をまとめて風呂に入って寝る。
ホテルに戻って荷物を詰めると、もうスーツケースのふたが閉まらないくらいだ。
休憩時間まで待って、何気にロビーに下りていくと、
丁度みんなカバンをロビーに出していた。
チェックアウトの時間らしい。
再び部屋に戻って荷物を持ってくる。
電話代は45ユーロもした。
結構高い。
(*4)
午前中のセッションの残りも、一応出ておいて、急いで昼食だ。
櫃田先生の隣に座ったが、他の人が同じ卓につかないので、
なかなか注文を取りに来てもらえず、結局、Secondo Piattoが食えずじまいだった。
シャトルバスは13:20に出て、Trentoに13:40くらいには着いた。
14:05発のICに乗って、Veronaで乗り換え。
しかし、ここで乗った電車の冷房が壊れていて、とても暑かった。
ミラノに着いたのは、17時くらいだったか。
ミラノ駅にはスーパーもあったが、どこにも寄らず、空港バス乗場を目指す。
すると、途中で「背中に何かついてるぞ」みたいなことを話しかけられた。
よくガイドブックに書いてあるスリの手口だ!と思って、
カバンと財布に注意して見たが、何も付いていないようだ。
しかし、櫃田先生の背中には、何かツバのようなものが付いていた。
何も掏られてないが、汚されたのは不愉快だったろう。
バスは無事、ミラノ空港に18時ちょっと過ぎには着いた。
まだ出発まで3時間半もある。
尾畑さんが土産を買うと言うので、僕も結局、バルサミコを買った。
朝のディスカウントストアと比べると、半分の量で同じ値段だが、
まぁ軽い分だけましか。
3人でビールを飲んで少し話して、尾畑さんはパリ経由なので、そこで別れた。
(*5)
出国手続きを済ませても、まだ2時間もある。
そしたら、櫃田先生が「Duty free shopで買物するから、別行動しよう」
と言うので、一人で眺めていたが、ディスカウントショップと比べると、
断然高い。
事務室用のチョコなんか、僕は2.59ユーロで買ったのに、
全く同じものが、7ユーロで売ってたよ。
何も買う気がしないので、中をうろついていたら、
前にローマに来たときに、ミラノで乗換えをしたことを思い出した。
あの時もこの辺をうろついて、ここのイスに座ったな…と妙に懐かしい。
家にTELしたりして、うろついているうちに出発の時間だ。
櫃田先生ばかりか、周りの乗客(日本人ばかり)は
みんなDuty freeの袋を提げているが、海外旅行ではここで買うものなのだろうか。
別に安いわけでもないのに。
帰りは、JAL機で、この機には、各席にTVやゲームもついている。
離陸後、1時間で機内食と計算して、それまでゲームをやっていた。
読み通り、1時間で機内食が来たので、ビールを飲んで、眠くなったが、
``モンスターズインク"だけ見て寝た。
起きて``ニューヨークの恋人"を見た。
明日の英会話の話題用にと、あえて英語で聞いたりしてみたりしているうちに、
酒の肴みたいな朝食が出て、すぐ成田に到着だ。
16時ちょっと過ぎくらいだったが、
荷物が出てくるのが遅くて、外に出たときは17時近かった。
しかし、次の出発は19時半だから、かなり余裕。
ただ、福岡空港で22:17のバスに乗り遅れると佐賀に帰れなくなるので、
荷物を預けるときに配慮してもらうよう頼んでおいた。
夕食に牛丼を食べて、かなりの時間を座って過ごして予定より遅れて出発。
福岡空港の荷物引取り所についたのが、21:47.
どうなるかと思ったが、さすがDOORSIDEを頼んだ甲斐があったよ。
7番目に出てきたので、1つ前の22:02発のバスに乗れた。
家にTELしたときは宏哉だけ起きているとのことだったが、
迎えに来たときは愛加の方が元気だったな。
櫃田先生は成田で荷物を宅急便で送っていたが、
僕は土産を見せたかったので、重いのを運んできたのだ。
家に帰ってすぐ広げて見せたが、暖加用の玩具も評判悪いし、
棒パンもパスタも喜んでもらえなかったようで、ガッカリ。
しかし、一週間では、日本に帰ってきても違和感を感じることもない。
今回は日本語を使っていたから、英語感覚にもならなかったし、
何も得たというでもない旅行だったのかなぁ。