碁石の問題がいまいちピンと来なかった。 (美穂)
k=1
のときは図のような重なりがないので、 (ii)の証明が成立しない、ということです。 帰納法の仮定の方が不自然で、いかにも怪しいのですが、 こちらには何も問題ありません。
問題がまちがってるのか答えがまちがえてるのかが分からなくて難しかった。 (02S1xx)
えぇー! 「
n=n+1
」とか 「全ての人はハゲである」とか 「全ての碁石は同じ色である」 という問題なのだから、 問題が間違っているのは明らかでしょ。 ということは、 答えが間違っていることになるので、 そちらにだけ集中すればよいというつもりで、 こういう講義をしたんですけど... 。 実際に研究するようになると、 本当に問題が間違っているのか、答えが間違っているのか、 分からない状態で、答えが合っているかどうかを検証することを しなければなりませんから、更に難しいです。
間違いを見つけるのが面白かった。 数学は改めて論理的な学問だと思った。 (ペンネーム)
論理的に考えていくことによって、 自ずから間違いが見つかる。 言うだけなら簡単ですが、 本当に虚心坦懐に論理的に考えることは、 訓練を積まなければなかなか出来ることではありません。 正しそうとか、間違っていそうとかの 個人的な気持ちを入れずに、客観的に判断すること。 大学での学習で、それを身に付けるようにしてください。
{問10}の問題は先生がふさふさだから笑い話になると思います。 (Rebirth)
上に書いたように、 ふさふさとか、少ないとかの 個人的な気持ちを入れずに、客観的に判断すること が論理的な思考力養成のために大切なことなのです。
勝手に仮定するのが普通である数学的帰納法の問題なのに、 その仮定した部分をうたがって、違うんじゃないか、 とまんまと引っかかってしまいました。 (ヒゲ)
仮定は仮定として受け容れる大らかさが大切です。 例えば、背理法とは、間違っていることを仮定して矛盾を導くという論理ですが、 間違いを承知でその仮定を元に論理を組み立てるというのは、 改めて考えるとおかしいんじゃないか、 と思ったりしないかな。
k
は小さいときもあるという考え方を学習した。 (シャッター買って!!)
小さいときもあるというか、
k
の範囲にも注意を払う必要がある ということです。
k
とか
n
とか文字で書くと、なんとなく、適当な大きな数を 想像しがちですが、大きいときも小さいときもありうるということを、 常に気に留めておくのは大切なことです。
数学的帰納法でこんなに楽しめるとは思いませんでした。 (久美子)
どんなテーマでも、上手に話せば、楽しませることの出来るものだと思います。 ただ、『上手に話す』のが難しいんだよな。 特に専門科目だと、理解させなければならないから、 楽しませるだけじゃダメなんだよね。
帰納法について今までこんなに深く考えたことはなかったので、 おもしろくて、少し興味がわきました。 (博恵)
こうして興味を持って、自分で本を読んだりして 勉強するようになってくれれば、 講義としては大成功ですね。
嫌いな数学的帰納法がもっともっと嫌いになりました。 (未亜絹)
こういう風に、苦手意識を増長させたりすると、 講義としては失敗ですね。反省、反省。
先生が考えるハゲの人の基準を知りたい。 (雅之)
真性ハゲ:モト冬樹
自明なハゲ:西村雅彦
微妙なハゲ:ISSA
ネタのハゲ:堂本光一
曖昧なハゲ:小倉智昭
秘密のハゲ:みのもんた
こんなところでいかがでしょう。
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日比野雄嗣 hibinoy@cc.saga-u.ac.jp