研究概要

Gauss過程の標準表現

1940年代にP.Lévyによって始められた標準表現とは, 時間の進行に伴って確率過程\(X\)(特に Gauss過程)が得た情報を, 構造のよく知られている独立増分を持つ過程\(B\)(新生過程という) (例えばBrown運動) とランダムでない関数\(F\)を用いて \[X(t)=\int^t F(t,u)dB(u)\]の形に 表わそうとするものである. Gauss過程の標準表現の概念は T.Hidaの研究により整備されて, しかもその意味が数学的に明確になった. 元の確率過程の持つ情報とそれを表現するBrown運動の持つ情報が同じであるとき, 標準表現されたといい 標準表現は存在すれば, ある意味で一意的に定まることが知られている. 一般に平均0のGauss過程は共分散だけからその分布が決定されるが, 一意性の問題あるいは時間進行に応じた従属性に関する問題など 多くの基本的な課題があり 与えられた共分散から標準表現を求めることは 大変困難な問題であり 我々の究極の課題ともいえる.

標準表現の概念は時間の進行 つまり 因果性に重点を置いていることにより, 予測問題にうまく応用できる. ところが 確率場に対する問題を考えるとき, 内挿または外挿問題に相当する問題を考えることになり, これだけでは不十分である. そこで[2]において, 確率過程を1次元確率場と見做し 新しく後ろ向き標準表現を導入して, 従来の前向き標準表現と後ろ向き標準表現との関係を研究した. それを用いて重要なGauss過程のクラスである多重Markov過程に対して, 内挿問題の解の具体的な形を与えた.

ところで 逆に 内挿の扱いやすいクラスとしてreciprocal過程がある. reciprocal 性は多パラメータのMarkov性の1次元版といえるものであり (このため reciprocal は quasi-Markov とも 呼ばれる), simple Markov過程より広いクラスであることが知られている. [3]では, その概念を拡張して多重reciprocal性を定義した. そして 多重Markovかつ多重reciprocal過程の場合について reciprocal性の多重度とMarkov性の多重度との関係を見出した.

Gauss過程の標準表現の理論としての 問題は具体的な標準表現を求める段階にある. 一般には表現は一意的ではなく 非標準なものがあることを考慮しなければならない.
そこで 非標準表現においては, 元の確率過程の持つ情報はそれを表現するBrown運動の持つ情報より少なく, そのギャップである直交補空間がどのようにして構成されているかが 非標準表現の特徴付けとなることに着目し, 逆に 非標準表現を構成することにより 標準表現のあり方を考察することにした.

まずは 定常Gauss過程の場合について研究してみた. 平均連続で純非決定的な定常Gauss過程に関しては常に多重度が1 であることが知られており 具体的対象として扱いやすいからである. [8]に 定常過程の非標準表現の簡単な構成法をまとめ, 無限次元の直交補空間を持つ非標準表現が存在することを示した. しかし 無限次元の直交補空間を持つ場合は 非常に特殊であり, 若干の条件を仮定すると 無限次元の例が存在しなくなることを [12]で注意している.

非定常の場合については, [7]にまとめられている. ここでは 与えられたGauss過程(特にBrown運動)において, 任意の二乗可積分関数N個の集合に対して それを直交補空間の基底とするような 非標準表現を Volterra型の積分作用素を用いて具体的に構成できることを示した.

[7]で得られた非標準表現に対応する作用素に関して, その性質を更に追究した.
まず [5]では, そのVolterra型の積分作用素の摂動と反復について考察した. そして N=1のときについて この作用素が摂動に関して 直交補空間の基底によらず標準性のあり方が一定であることを示した. さらに 任意の自然数Nの場合にも 同じ結果が成り立つことを[9]で示した.
N=1の作用素の反復に関しては, このVolterra型積分作用素が可換であるための必要十分条件を求めた. これをn回反復させることによって, n次元の直交補空間をもつ非標準表現を構成することができるが, その極限(n→∞)をとっても無限次元の直交補空間を持つものは構成できないことを, [11]で示した.

[6]では, [7]で得られた非標準表現の情報量を計算した. 非標準表現されたGauss過程は 当然それを表現するBrown運動より 情報が少ないわけだが その減少量を具体的に求めた.
[13]で注意しているように, この非標準表現を使って Gauss過程に対するある種の非標準表現からは, そのGauss過程の具体的な標準表現を得ることができる. その手法を使って,[5]で得られた結果の別証明を[20]で与えている.
また, [15]で示したように, 標準表現を持つGauss過程のブリッジに ついては,その新生過程をBrown運動の非標準表現を用いて 構成することができる.
このように,今までは無駄なものと思われていた非標準表現にも, 役に立つ応用があることが分かった。

[14]において, [7]の結果を 多次元値を取るBrown運動の場合に拡張した. その各成分は 複数の独立な1次元Brown運動による1次元Brown運動の表現 という 今までにない新しいタイプの非標準表現になっている.

さらに 近年発展しつつある量子確率論との関係から, 量子確率論で標準表現の理論を構成することも試みている. [10]はその第一歩である.

量子確率論のグラフへの応用

量子確率論は代数的確率論とも呼ばれ, いわゆる測度論的確率論の拡張と考えられている. 量子確率論の特徴として,独立の概念が複数あることが挙げられる. 量子確率論のグラフへの応用として, 成長するグラフの漸近的スペクトル分布との関係で 新しい独立の概念を得ることを目的とし, 任意のグラフから始めて,ある特定の繋げ方によって グラフを拡大していくとき,一定の極限分布に収束するというものを構成したい.

隣接行列が\(A\)であるグラフ\(G\)に対して, \[ A_N^{(k)}= \sum_{1\leq j_{1} < \cdots < j_{k}\leq N} \underbrace{I\otimes\cdots\otimes I \otimes \overset{\text{($j_{1}$-th)}} {A} \otimes I\otimes\cdots\otimes I \otimes \overset{\text{($j_{2}$-th)}} A \otimes I\otimes\cdots\otimes I \otimes \overset{\text{($j_{k}$-th)}} {A} \otimes I\otimes\cdots\otimes I}_{\text{$N$ times}}, \] を提案し, これを隣接行列とするグラフ\(G_N^{(k)}\)の漸近的スペクトル分布が \(G\)によらず一定になることを考察した.
[16]において,量子分解の手法を用いて, \(G=K_2\)(2点グラフ)の場合の,\(G_N^{(2)}\)の漸近的スペクトル分布が カイ二乗分布であることが得られた。 \(G_N^{(k)}\),\(k\ge3\)の場合には量子分解の手法は適用できないが, [17]において \(G=K_q\)(q点完全グラフ)の場合の, \(G_N^{(k)}\)の分布が得られた。 そして,その漸近的スペクトル分布を,\(N\to\infty\)のときと,\(N,q→∞(N/q:一定)\)のときに求めた。 ついに[18]において 任意の単純グラフ\(G\)に対して, \(G_N^{(k)}\)の漸近的スペクトル分布に関して \[ \dfrac{A_N^{(k)}-\langle A_N^{(k)}\rangle}{\Sigma(A_N^{(k)})}\to \hat{H}_k(g)(N\to\infty) \] となることが得られた。 ここで,\(\langle A\rangle\)は\(A\)の平均, \(\Sigma(A)\)は\(A\)の標準偏差, \(\hat{H}\)は正規Hermit多項式, \(g\)は標準ガウス分布に従う確率変数である。 さらに,任意の単純グラフの\(N\)重直積グラフの距離\(k\)グラフの漸近的スペクトル分布が \(G_N^{(k)}\)の漸近的スペクトル分布と同じであることを示した。

また,[19]では このような成長するグラフのスペクトル分布の例として, \(d\)次の正則木の距離2グラフのスペクトルとその\(d\to\infty\)のときの漸近的スペクトル分布を, 量子分解の手法を用いて求めた。


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